東日本大震災の発生から11日で13年。大切な人を失った悲しみや郷里への思いを抱えながら祈りを捧げます。かけがえのない日常と「次」への備えについて考える、そんな一日に。各地の動きをタイムラインでお届けします。
■■■3月11日■■■
10:30
原子力規制委員会の委員長が訓示「原子力に100%の安全はない」
東京電力福島第一原発の事故を受けて発足した原子力規制委員会では、山中伸介委員長が、職員ら約150人に訓示をした。「あのような事故を二度と起こさないために、原子力に100%の安全はないということを肝に銘じながら、常に科学技術に基づいた判断をしてください」と述べた。
山中委員長は能登半島地震についても触れ、「日本では地震や津波、さまざまな自然災害は避けることができない。どのような自然災害に対しても、二度と福島第一原発のような事故を起こしてはならない」と話した。
福島第一原子力規制事務所長の小林隆輔さんも登壇し、処理水の放出開始などこの1年間の作業の進捗(しんちょく)などについて報告した。作業員の身体汚染や汚染水の漏洩(ろうえい)などトラブルが相次いだことについて「組織体として何を行うべきか、いま一度しっかり考える必要がある」と強調した。
10:17
津波で妹を亡くした女性「私が妹に今してあげることだから」
157人が亡くなった仙台市宮城野区蒲生地区にある「なかの伝承の丘」では、近くの誓渡寺(せいとうじ)や京都市の妙心寺の僧侶が法要を開いた。かつての住民ら約30人が参加し、祈りを捧げた。
法要に参加した宮城県塩釜市の氏家清子さん(75)は蒲生地区で、津波から車で逃げていた妹(当時57)を亡くした。当時は、津波が到達した夕方の時間帯になると、涙が止まらなかった。
「今も3月11日の夕方は涙が出てくる。でも、私が泣いてたら、妹は安心してできない眠れないから、笑顔を心がけています」
震災から13年の時が経ち、参加者は年々減っているという。それでも、氏家さんは「腰が曲がってでもくる。それが、私が妹に今してあげられることだから」。
10:03
減る月命日の墓参 大槌町の夫婦「彼岸だけにしようかと」
岩手県大槌町の佐々木徳志さん(73)が妻と同町安渡の墓地を訪れた。震災で亡くなった母のナツさん(当時84)と親類に手を合わせた。
ナツさんは高台に避難したが、津波に流され、大槌湾内の蓬萊島付近で見つかった。墓は、その島を望む丘にある。
「優しくて、字も達筆で裁縫もうまい母でした」
月命日に墓参りに訪れる人が減っている。佐々木さんも「先に死んだ父が、なぜ俺の命日には来ないんだと怒られそうなので、(墓参りは)彼岸だけにしようかと思っている」と話した。
10:00
南三陸町の海岸で行方不明者の捜索を開始
宮城県南三陸町の泊漁港の海岸で、宮城県警南三陸署員ら10人が、行方不明者を捜索した。
震災後に警察官になったという巡査長は、今回が2度目の捜索。沿岸部の署に配属されることが多く、地域を回る中で震災当時の住民の話を多く聞いた。
「少しでも行方不明者の手がかりを発見できればという思い。丁寧に捜索したい」
県によると2023年9月時点で、南三陸町では211人の行方不明者がいる。
南三陸署の大山栄太地域課長は「捜索の環境は年々厳しくなっているが、帰りを待つ方々の気持ちは変わらないはず」と話した。
10:00
今も415人が行方不明 大槌町の海岸で捜索を開始
岩手県大槌町吉里吉里の小久保海岸では、岩手県警釜石署と釜石海上保安部などの約40人が行方不明者の捜索を始めた。町内では今も415人が行方不明のままだ。
今回初めて、ドローンを使った捜索を実施。釜石署の田中洋二署長は「今まで見られなかったところを、広範囲に見ることができる」と話した。(小泉浩樹)
09:00
慰霊に来られない人の代わりに手を合わせ 女川
宮城県女川町の精神保健福祉士、内海章友(あきとも)さん(49)は町の慰霊碑前で手を合わせた。慰霊に来られない人の代わりに、そして自分のために。
公営住宅で一人暮らしをする高齢者のもとを仕事で訪れると、「つらくて慰霊には行けない」との声を多く聞く。
内海さんのおばもその一人だ。町内で、夫やその親族を亡くし、今は隣の石巻市に住む。「代わりに手を合わせてきて」。そう言われ、毎年慰霊碑に通う。
「スーパーができ、列車が通って、普通に暮らしているように見えても、みんなまだ傷ついている」
慰霊は、内海さん自身の気持ちに「区切り」をつけるためでもある。震災直後、地面に横たわる遺体を横目に、両親を探しまわった。その後7年間、耳の不自由な両親と、実家の石巻市から東京都内に避難した。
職を見つけて女川町に戻ってきたが、「ひどいことをした」「自分だけ逃げてしまった」という気持ちにさいなまれ続けた。
今後は女川、石巻で一生を終えたいという。
「この地に残った人が少しでも生きやすくなるよう、見届けたい。それが生きた人の務めだと思うんです」
09:00
「今も寂しいまま」 慰霊碑に記された名前を手でなで 石巻市
「おばあさん、おじさん、また来たよ」
宮城県石巻市の石巻南浜津波復興祈念公園で、今川栄子さん(61)と夫房一さん(67)が、慰霊碑に記された祖母の斉藤咲子さん、叔父の斉藤忠一さんの名前を手でなでた。
おおらかでおしゃべり好きな祖母は、90歳を過ぎても社交的な人だった。北上地区にある自宅にいて、津波にのまれた。迎えに行った叔父も犠牲になった。
今川さん夫妻は当時、雄勝地区に住んでいた。自宅は全壊したが、たまたま用事で仙台に出かけており、無事だった。
自宅は石巻市街地の近くに再建した。散歩で祈念公園の近くを通ると、必ず慰霊碑に立ち寄る。
「気持ちは今も寂しいまま。もっと色々なことがしたかった。一緒に旅行にも行きたかった」
08:00
「教訓を発信し続ける」 大槌町の旧役場庁舎跡地、職員と遺族が献花と祈り
岩手県大槌町の旧役場庁舎跡地では、町の幹部職員ら約20人と遺族6人が、献花と祈りを捧げた。
震災で、当時の加藤宏暉町長を含む職員40人が犠牲になった。屋上に避難して助かった平野公三町長は、「あの日のことを1日たりとも忘れることはない。犠牲となった尊い命を失うことになった教訓を発信し続けることが私の使命だ」と語りかけた。
平野町長は震災10年目となる2021年のこの日、旧庁舎を解体する一方、旧庁舎前で何らかの施設整備をすると犠牲者に向かって約束した。
だが、2025年7月の完成に向けて整備中の施設の内容はいまだに決まっていない。震災の語り部育成もうまく進んでいない。
事態を重くみた平野町長は今月9日、町主催の震災伝承講座で急きょ講話をすることにして、初めて自らの体験を町民に語った。
そして、この日の献花後、記者団に「職員の間でさえ、当時を語り合うことはしていない。被災者の体験集を制作したい」と述べた。
08:00
「ごめんね」 南三陸町の旧防災対策庁舎を訪れた町職員の思い
宮城県南三陸町の町職員、高橋彩さん(37)は、町内の旧防災対策庁舎を訪れた。町民に避難を呼びかけていた職員らが津波に襲われ、43人が犠牲となった場所だ。同僚で友人の遠藤未希さんも亡くなった。
「自分ばっかり生きててもなあ。ごめんね」。そんな思いがあるのもまた事実だ。
旧防災庁舎は、解体か保存かで意見が分かれた。県有化して判断を先送りしてきたが、震災13年を前に、町が震災遺構として保存する方針が決まった。
高橋さんは「職場がそこにあって、思い出の場所であったことは、(旧防災庁舎の)骨組みがあっても、なくても変わらない」。
07:30
上川外相「政府の一員として復興に全力尽くす」
「13年前のきょう、東日本大震災が発災し、多くの多くのみなさまが亡くなられた。心からお悔やみを申し上げます」。上川陽子外相は東京・大手町での講演で東日本大震災に触れた。経団連との懇談会で、十倉雅和会長をはじめ企業トップらに経済外交や海外でのビジネスのサポート態勢の強化などを語ったが、震災から話を切り出し、「被災されたみなさまがいま、復旧に向けて、復興に向けてがんばっていらっしゃる。私も政府の一員として、全力でこれにつくしていきたい」と続けた。
06:58
仙台市の荒浜にホラ貝の音 同僚ら失い、山伏に
190人が亡くなった仙台市若林区の荒浜で、山伏の園部浩誉さん(58)が海岸線を歩き、ホラ貝を鳴らしていた。
保険会社に勤務し、2010年まで仙台市内に赴任していた。震災当時は、異動先の大阪で、津波にのまれていく映像を見ていた。仙台時代の同僚や当時の顧客が津波に流され、亡くなった。「被災していない自分が、どうしたら同僚やお客さんを弔えるか」と考えた結果、13年から出羽三山(山形県鶴岡市)で山伏の修行を始めた。
それから毎年3月11日は、未明に荒浜の南にある宮城県名取市の閖上(ゆりあげ)を出発し、荒浜のほか、塩釜市や石巻市、南三陸町の各海岸を訪れてホラ貝をならす。「魂を鎮めることともに、この音を聞いて、同僚たちが帰ってきたときの目印になってくれれば」と語った。
06:51
出勤前に墓参「しっかり生活できている。安心して」 岩手県大槌町
妻の両親を東日本大震災で亡くした岩手県大槌町の遠藤修さん(51)は11日早朝、仕事の前にお墓参りをした。13年たったが、この日になると当時を思い出す。「自分たちはしっかり生活できているので、安心してください。どうぞ安らかに」と言う気持ちで祈ったという。
06:50
「一区切りと思って」 妻を失った男性、13年ぶりに慰霊碑へ
宮城県南三陸町に住む及川幸男さん(83)はこの日のワカメ漁に出る前に、町の震災復興祈念公園にある慰霊碑を訪れた。津波で妻敏子さん(当時70)をなくした。1960年のチリ地震の経験から「ここには津波は来ない」と言われていた場所に逃げたが、流された。その後、5年間は泣いてばかり。まだ気持ちの整理がついたとまでは言えない。
いま祈念公園がある、この地を訪れたのは13年ぶり。隣接する駐車場までは来ても、慰霊碑のある丘の上までは登らなかった。
ようやく「一区切りだ」と思えるようになった。慰霊碑には、亡くなったそれぞれの人の名前は刻まれていない。「他の地域のようにあればここに来て、触れられるのに」。仕事が終われば、妻の眠る墓に手を合わせに行く。
06:40
岩手県宮古市で避難訓練
517人が犠牲になった岩手県宮古市。毎年3月11日は、津波避難の訓練をしてきた。
午前6時40分、緊急避難場所に指定された田老地区の高台には、自力で避難してきた人や、自衛隊のマイクロバスで避難してきた人が集まった。
久保田正記さん(72)は13年前、自宅1階が浸水。「訓練に参加して、身体で覚えることで、いざという時に思い出しながら動けるようにしたい」と語った。
06:30
「この日は海に来ないといけないと思って」 宮城県東松島市・野蒜海岸
宮城県東松島市の野蒜(のびる)海岸。震災後、周囲には民家がなくなり、防潮堤が整備された。
仙台市泉区から訪れた鈴木吉浩さん(58)が日の出に合わせ、波打ち際から釣り糸を垂らした。
「まだ時期じゃないんで釣れないのは分かってるんです。でもこの日は海に来ないといけないと思って」
県南部の亘理町(わたりちょう)でおばを亡くした。毎年3月11日は、釣りざおごしに海を見つめる。追悼の思いを込めて。
06:25
「忘れていないよ」 兵庫県から訪れた大学院生 仙台市・荒浜
仙台市若林区の荒浜地区の海岸で、兵庫県姫路市の大学院生石倉万里恵さん(24)が手を合わせた。震災があったのは小学5年生の時。津波の映像がずっと忘れられず、いつか被災地に訪れたいと思っていた。
4月から神戸市の特別支援学校で働くのを前に、休みを利用してやってきた。海を見ながら、「震災を忘れていないよ」と考えていたという。
大学院で、広島の原爆体験の継承について学んだ。「震災からは13年。継承がどうなっているのか、遺構をどう残していくのか。社会人になる前に見に来たかった」。宮城県南三陸町や石巻市なども訪れる予定だという。
06:10
「少しでも誰かの役に」 移住した元製薬会社員、決意新た 宮城県石巻市
宮城県石巻市の日和山の山頂付近で、同市の団体職員斉藤雄一郎さん(66)は、眼下の海に向けて手を合わせ、じっと見つめた。
東日本大震災の時は、東京で製薬会社に勤めていた。翌月の4月下旬、薬剤師の派遣業務を支援するため、縁がなかった石巻市を訪れた。がれきに埋まった街が忘れられない。
2013年に会社から市職員に出向。被災者の体験を記録・保存するため、多くの人の話に耳を傾けた。セカンドキャリアは市の復興に捧げようと、住民票も移した。
現在は一般社団法人「石巻圏観光推進機構」の業務執行理事として、防災学習の参加者誘致などに取り組む。
3月11日は毎年、自分の決意を確認するため、日和山を訪れ、街並みを目に焼き付ける。
「被災した人たちが立ち上がり、よくここまで前に進んできた。自分も、少しでも誰かの人生の役に立てたら」
06:00
能登半島地震で大きな被害を受けた石川県輪島市の市役所では、11日午前6時、東日本大震災の犠牲者らを悼み、市役所の屋上に半旗が掲げられた。地震発生の午後2時46分には、市役所などにいる全職員が黙禱(もくとう)を捧げる予定という。
05:54
「当たり前だったものが無くなってしまった日」 仙台市・荒浜
仙台市若林区荒浜では11日、早朝から海に向かって手を合わせる人の姿が見られた。
そのうちの一人、仙台市青葉区の石川泰子さん(58)は震災で親戚や友人を亡くした。
「この日は当たり前だったものが無くなってしまった日。まだ見つかっていない人もいるので、戻って欲しい」
仙台市の自営業福田沙織さん(53)は、所属するゴスペルグループのメンバーらと海に向かって手を合わせた。
震災から数年たった頃、ゴスペルグループでチャリティーイベントを始め、その後、毎年続けてきた。復興イベントが減っていく中で、「それでいいのかな」と考えたという。
これまで市内の献花台などには足を運んでいたが、3月11日に海岸に来たのは初めて。
「震災を忘れない、風化させないことが大事だと思う。生かされている自分たちに何ができるのか。考えながら生きていきたい」
■■■3月10日■■■
18:09
避難指示の一部解除から1年半、駅前でキャンドルナイト 福島県双葉町
東京電力福島第一原発事故で大きな被害を受け、約1年半前に町の一部で避難指示が解除された福島県双葉町で10日、犠牲者への追悼と復興への願いを込めた「ただいま、おかえり 双葉まちキャンドルナイト」があった。
会場となったJR双葉駅前に…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル